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【レビュー】「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を私は絶賛したい

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2018年に公開した映画を今更ながらレビューしたいと思う。

というのも最近になってポケモン熱が再燃して、その流れでついこの間初めて観たばかりなのだが、ポケモン映画として本作はあまりに革新的であり、既存のポケモン映画と同じ認識をされ、スルーされるにはもったいなく、少しでも本作の布教に貢献できるならばレビューしないわけにはいかないと考えたからである。

 

 

まえがき

あらすじはこちらから引用する(https://www.pokemon-movie.jp/history/history2018/

人々が風と共に暮らす街・フウラシティでは、1年に1度だけ開催される“風祭り”が行われていた。
祭りの最終日には伝説のポケモン・ルギアが現れて、人々はそこで恵みの風をもらう約束を、昔から交わしていたという。

ポケモン初心者の女子高生、リサ。
嘘がやめられなくなってしまったホラ吹き男、カガチ。
自分に自信が持てない気弱な研究家、トリト。
ポケモンを毛嫌いする変わり者のお婆さん、ヒスイ。
森の中で一人佇む謎の少女、ラルゴ。

偶然、風祭りに参加していたサトシとピカチュウは、5人の仲間たちと出会う。それぞれが悩みを抱え、パートナーのポケモンと一歩を踏み出せない中、みんなが出会うことで、運命の歯車が動き出す……。

ルギアとの約束は守られるのか?
そして幻のポケモンゼラオラの正体とは??

今、人とポケモン、みんなの絆が奇跡を起こす――。

 

以降、ネタバレありでレビューしていこう。

 

 

作画・声優について

まずアニメという媒体特有の要素として作画とキャラの声について焦点を当てていこう。

 

作画・デザインに関しての不満はまるでない。

予告公開当初などはサトシがめっちゃ可愛くなっていることなどから話題になったこともあったようだが、本編を見ればわかるであろう、サトシの純粋な少年らしさ、そして本作の持つ雰囲気に合わせたヒーロー像を描くにあたっては本作のデザインはちょうどよく、むしろこれまでのTVシリーズのキャラデザインではブレるだろう。

 

もちろん他のキャラクターに関しても言うことなしである。初見で注目を引くであろうリサは女子高校生という立場であり、これまでのポケモンではなかなか見ることもない現代に沿ったデザインがされている。ゲームやアニメという媒体で普及してきたポケモンという世界をより身近に感じられる導入にふさわしい。

 

本作の舞台となるフウラシティの街並みや、そこに住む人々、また風祭りに訪れた旅行客や、彼らのポケモンや野生ポケモンが、それぞれ丁寧に描かれている。ポケモン映画においてこれだけのモブの様子が生活感を感じられるレベルに描かれているのも珍しいのではないだろうか。

 

主人公格のキャラクターたちの表情づけも良くされている。

序盤のシーンでゲットレースに出場しているサトシとピカチュウが、バンギラスを救おうとする場面があるが、「バンギラスをあそこまで誘導してくれ」と言うサトシに対して、ピカチュウが「おいおい冗談だろ?」とか「また無茶言って―」みたいな呆れたような表情をするシーンは特に印象深い。

この描写だけで、すでにサトシとピカチュウの仲がかなり深いであろうこと、サトシのピカチュウ本来の気質のちょっと生意気感あるところなんかが読み取れる。

 

あるいはまた、中盤に傷ついたイーブイを観てヒスイが苦々しい表情をするシーンが一瞬挟まれる。ポケモンを遠ざけているヒスイがこの表情をすることから、本来はポケモンに対して悪い感情は抱いていないことが読み取れるし、また過去に何かがあったのだろうであろうことの伏線にもなっている。

 

このように人物、ポケモンの表情が実に豊かに描かれている一方で、メインキャラクターの声についてもこれと言った不満がない。

ポケモン映画は代々ゲスト声優的に、本職が声優ではない人が声をあてることは多かったが、今作において、サトシ以外のメインキャラクター5人はヒスイを除いて本職が声優ではない。しかしそこに違和感がほとんどない。

というより一回映画観てから、あ、この声この人だったんだって感じだった。

 

いろんな理由からゲスト声優は入れなければならないであろうポケモン映画において、これだけのクオリティを出せたのは素晴らしいことだろう。

 

 

キャラクター

あらすじを見てもわかる通り、本作は群像劇である。

メインキャラクターはサトシ含め6人ということで、一人ひとり取り上げて振り返ろう。

 

リサ

彼女は最も異質な存在であろう。

ストーリーでフウラシティを訪れるまでポケモンとの関わりがほとんどなく、彼女が個人的に抱える悩みも、陸上競技における怪我で走るのが怖くなってしまったというポケモンとは一切関係のないものとなっている。

このキャラクター像は映画を観ている私たち自身と最も近しい。

彼女と言う存在のおかげで、「一時期ポケモンはやっていたり見たりしてはいたけど最近は観てない人」や「そもそもポケモンしらない人」が自己投影をしやすくなっている。

また、現実世界との唯一の違いであるポケモンという存在の有無を明確にしている。彼女はポケモンの存在のおかげで、終盤には恐怖を克服し、走ることができるようになっている。

観客の間口を広げたうえで、ポケモンという世界の魅力を伝える、ストーリー以外の部分でもキーパーソンとなるキャラクターである。

彼女の言動やリアクションも等身大で、抱える悩みも現実的に誰にでもありそうなものであり、親しみやすい。

そんな普通な人間がサトシにたきつけられ、イーブイに励まされ、スタートを切るあの瞬間は普通に涙目になりました。まあこのシーンの前後はだいたい涙腺緩くなってるんだけど。

 

カガチ

彼は本作において裏の主人公と言っていい。

見た目はもうおっさんで、スマートとは言えない言動や見た目をしている彼は、姪にいいところを見せるためひたすら嘘をつき続け、しまいにはその嘘がトラブルから暴かれて、姪に「大嫌い」と言われてしまう。

そんな彼を助けたのはゲットレースで妙に懐かれたウソッキーであった。ウソッキーという嘘をつくのが習性のポケモンが、嘘をつく男の相棒となり、互いに支えあう様は本作でも涙を誘う場面であろう。

サトシとピカチュウを除いて本作で相棒らしさが最も出ていたのはこの二人であった。

また、彼については序盤から丁寧に描写され、伏線もよく張られていた。姪を溺愛していることは言動の端々から見受けられたし、ゲットレースやストラックアウトでの投球の腕の良さは、終盤における解毒薬の散布に役立てられた。

 

また、メインキャラクター内で唯一、サトシという存在なしに克己した人間である。

 

トリト

彼は人と話すことが苦手で、研究発表の代役をカガチに頼もうとするが、トラブルに見舞われて一度挫折する。彼を支えたのはやはり彼のポケモンたちであり、きっかけとしてはサトシであった。

本作において手持ちポケモンが一番多いキャラクターであり、特にラッキーに寄り添うように支えられるシーンが多かった。

研究発表が失敗した後に、木の陰に座り込む彼と背中合わせに座り込むラッキーの姿が印象的である。

 

ヒスイ

最初は街にいそうな厄介なおばあさん、みたいな印象であったが、彼女がポケモンを避ける理由はきちんとあり、それもなかなか重いものであった。

彼女はストーリーでも触れられる50年前の山火事で手持ちポケモンだったブルーを失くし、ブルーが遺した風車のカギを大事にとっている。彼女は手袋をはめているが、回想シーンでブルーから鍵を託される際に火の中に手を突っ込んでいることから、おそらくそのときに火傷したのだろう。

上述しているが、傷ついたイーブイを前に苦々しい表情をした原因はここにあったのである。

トリトの研究材料である「あまいかおり」を使った薬品で勝手に野生ポケモンが寄ってくる様も面白い。みな愛嬌のあるポケモンたちで、個人的にはネイティオがツボだった。

彼女が終盤、山火事を前にしてブルーの面影を見るシーンは良かった。普段ポケモンを毛嫌いし、遠ざけていた彼女がかつてのブルーのことを「大好きだったあいつ」と呼ぶ場面は涙がにじむ。

 

ラルゴ

本作のゲストポケモンゼラオラ」を匿う少女である。

幼いながらとてつもない行動力を持った子である。

カガチがレアポケがいる発言をしたことにより、死んだとされていたゼラオラの存在が露見するのではないかと危惧に、観光客を遠ざけるため、風祭りの中止を画策するほどである。

考えてみると本作における最大のトラブルメーカーであるのだが、すべてはゼラオラを守るためであった。

人間を敵視していたゼラオラに、「人間がポケモンから力をもらえるように、その逆もあったらいいな(意訳)」と語りかけるシーンは印象的である。

 

 

群像劇として

そもそもこれまでのポケモン映画と言うのは、サトシと、そのときのTVシリーズの仲間たちが、ある街を訪れて伝説級ポケモンといろいろあって…というようなTVシリーズとの相違は新しい街、新しいポケモン、くらいのものであった、と思う。

前作の「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」では初代TVシリーズのリブート的な映画で、それまでの映画とは違いロードムービー的なものであった。ポケモン映画としては異質ではあるが、TVシリーズを映画にまとめた、という感じでそれほどの新鮮さは感じられなかった。

 

対して本作では群像劇という形をとり、映画でもTVシリーズでもゲームでもなかった展開を見せた。これは長年シリーズを続け、伝統を続けてきたポケモン映画において、非常に革新的、挑戦的であり、その意欲だけでも十分に評価に値する。

 

そのうえで本作は群像劇として一定の質を保っている。

ストーリー序盤では互いに関わりのなかったメインキャラクターたちが、互いの利益やその時の偶然から交わり始める。

中盤ではラルゴやロケット団らが起こした事件が絡み合って事態を悪化させる。

終盤ではサトシという圧倒的ヒーローに引っ張られ、ポケモンに支えられ、各々が事態の対処にあたる。

 

キャラクター同士の心理的な相互作用はもちろん、ストーリー上の事象もそれぞれのキャラクターが少しずつ関わっている。

群像劇はその性質上キャラクターの深堀りが難しいところがあるが、本作では不満に思うほどに掘り下げがされていない、と言うこともなかった。人々の抱える悩みや過去を、伏線や表情から察することはできたし、ここぞという場面でカタルシスを感じさせる展開もできていた。

 

そもそも2時間の映画で群像劇をまとめるというのはただでさえ難しいものである。それを設定上破綻させいないようにできたとしても、キャラや要素の関連を観た人間にちゃんと理解させるのには、説明をどこまでして、どこからを観た人間の考察力にゆだねるかという理詰めだけではできない部分もあると個人的には思っている。

それを本作は、ポケモンと言う要素を加えながらも破綻させずにまとめてみせたという時点で、もはやポケモン映画という枠を超えて評価されるべき作品になっているのではないだろうか。

 

※私は同じ群像劇の映画で「スナッチ」という映画が好きなのだが、初回観たときはキャラや展開の前後関係を把握しきれなかった。

まあ「スナッチ」は本作と比べてキャラ数多かったり、時系列が前後していたりという特徴もあるが、ポケモン視聴者の年代を考えれば本作は十分に複雑なほうだと思う。

 

 

無駄なシーンがない

本作において無駄なシーンはない。

序盤はフウラシティの街並みやモブのカット多くなりがちだが、本作の舞台はその都市構造を把握することも大事であり、また、風祭りというイベントの雰囲気を出すためにもこれらのカットは必要であり、また十分でもあった。

また序盤から伏線が貼られている。

いくつかピックアップしていこう。

  • ドーブルのインクを使用した薬品が割れたことは、のちにラルゴが聖火を盗んだ犯人を特定するのに繋がっている。そのおかげでラルゴはピンチを救われる。
  • ゲットレースでロケット団が販売していたラムの実ジュースは、のちに解毒薬として使用される。
  • リサが弟のリクから受け取ったサングラスは、のちにリクがリサを誘導して聖火を届けるのに役立てられる。
  • リク=MCポケランはエンドロール後に明かされる。なんでも当時のTVシリーズにも登場していたとか。
  • ヒスイの手袋やイーブイへの表情は、過去にブルーを失ったことに起因している。
  • カガチの投球コントロールは終盤の解毒薬散布に役立てられる

 

また、伏線とは言えないが人物の関係性を表すシーンも良く描かれている。

総じて無駄と感じるシーンはなく、あらゆるカットがなにかを含意していると捉えられた。

 

まとめ

タイトルにも書いた通り、私は本作を絶賛したいと思う。

映画そのものも、ポケモン映画という伝統や背景を含めても。

 

 

さて、上述のキャラクター一覧で実は一人取り上げていないキャラがいる。

そうサトシである。

あえてここで最後の主人公であるサトシを取り上げて、このレビューを終わろう。

 

サトシ

当然のことながら、本作のメイン主人公である。

本作のサトシはヒーローとして完成されている。相棒のピカチュウとの絆も固く、本作においては悩みや葛藤もなく、熱くて爽やかなやつである。

 

そして見せ場はきっちり作る。

序盤のゲットレースではサトシらしい生身でぶつかっていくスタイルでバンギラスを助け、

中盤の毒霧に覆われた街を前に立ちすくむ人々の中から真っ先に一歩を踏み出し、

終盤の対ゼラオラではやはり生身で電撃を浴びていく。

 

というかサトシの電撃耐性高すぎて笑う。

ゼラオラの電撃音やエフェクトって、ピカチュウのものと差別化する意味もあって特殊なものになってるんだけど、その電撃を浴び続けながら立っていられるサトシはもはやポケモン

 

それと、いよいよゼラオラの電撃に耐えられなくて、サトシが倒れるシーン。

あそこで下手に長尺とらずに、すぐに起き上がったことに関しては、ストーリー的によかったと思う。劇場版においてサトシって何回か死んでると思うんですが、ああまたこのパターンかよ、となるのも嫌なので、すぐ立ち上がってくれてよかった。これはサトシがこのストーリーにおいてはその役回りではないことを、ちゃんと製作側も意識しているんじゃないかと思われて良かった。

 

そう、本作においてサトシは最強でなければならないのである。それはサトシの葛藤や克己を描いている余裕はないというのもあるし、それを視聴者が望んでいるとも思われないからである。

それを意識してかどうか、ともかく本作のサトシのヒーロー像は良くできていた。

 

多様なキャラクターが一つの街に集まってわちゃわちゃしている中で、

サトシが首を突っ込み、巻き込み巻き込まれ、

みんなに一歩踏み出すきっかけを与えて、そして颯爽と去っていく。

なんか気持ちのいい奴が、風のように一つの街を通り過ぎて行った。

 

そんな爽やかさが本作のサトシの魅力であり、

同時に映画の読後感の良さに直結していた。

 

 

今更ながら「ペルソナ5ザ・ロイヤル(P5R)」完全にクリアしたので暑苦しく語る

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2019年10月に発売直後に購入し、一週目をクリアしていたのだが、

それから忙しくて手をつけられなかった。

が、最近になって二週目をプレイしてトロフィーもゲーム内アワードもすべて揃えて完全にクリアした。

二週目をプレイするうちにP5Rとして追加されたストーリーやキャラクターについてどうしてもどこかで語りたくなってしまったので、今更ながら感想を書く。

 

ネタバレ有りなのでご注意を。

 

はじめに

無印版P5はもちろんプレイしているし、アニメやP5Dについてもプレイし、いよいよ待ちに待った完全版P5Rは初回告知の時点からすでにめちゃくちゃ興奮していた。

 

無印版のときと同じように何度もPVを再生しては、新たなペルソナを体験できる喜びと興奮に浸っていた。当然のことながら限定版の「ペルソナ5 ザ・ロイヤルストレートフラッシュエディション」を買った。

 

ペルソナ全書埋めとか双子戦とかまた最初からかー、という気持ちもあったが、そもそも無印版を300時間やった人間なのであんまり苦痛にも思わなかった。

はじめに言及しておきたいのが、この無印版から完全版へのデータ移行などがなく、いわゆる「完全版商法」について批判があったことについてである。

確かにペルソナ5はプレイ時間が長く、初回の一周目はまあ80時間はかかるくらいだった。収集要素や裏ボスを含めると二週目は必須なので結局100時間はかかるだろう。

今回P5Rとしてフルプライスで完全版が出ることで、無印版での苦労が無駄になってしまうと感じ、それが批判されてしまうのは確かに仕方ないことだと思う。P5Rとして追加されたストーリーのほとんどは無印版のストーリー後にやってくるので、それまでのあいだほぼ無印版と同じストーリーを追うことになってもしまう。

(もちろん、細かく新ストーリーや新キャラ、ダンジョンの新規アクションなど、P5Rのストーリーにたどり着くまで飽きさせないような新規要素は追加されている)

やろうと思えばP5のDLCとしてRを追加し、DLCをインストールした状態で新たな周回を開始することで新規要素をプレイできる、とすることもできなくはなかった…いや、パレスの構造自体変わってるし、データ量的に難しかったかもしれないか…

せめてペルソナ全書やアイテムの引継ぎなどがあれば無印版プレイ者もやりやすかったかなとは思う。

 

ちなみに俺はその点については何も気にしてない。

普通に従来要素も新規要素も楽しめた。それくらいペルソナ大好きなので。

 

 

新規要素(パレスや新BGMなど)

前置きが長くなったが、P5Rとして進化した部分についての感想を書いていこう。

 

まずは各パレス(ダンジョン)の構造変化や新規アクションである。

P5になってから固定ダンジョンとしていろいろな仕掛けや小話をはさみながら展開していくパレスは、長いとか周回プレイがきついとか言われることがあるが、個人的には自動生成ダンジョンのほうがあんまり好きじゃないので普通に楽しい。というより固定だからこそ周回プレイで楽なんじゃないかと思うのだが。

P5Rでワイヤーアクションが追加されたが、これはある特定の場所でのみ使用できるアクションで、そこまで使用頻度の多いアクションではない。だが、P5Rにおいて、このワイヤーが一つのアイコンとして機能している(芳澤のキャラ付けや、そのコープにより解禁されるシェネワイヤーなど)ことを考えると、必要ではないかもしれないが、単純にかっこいいからいいのかもしれない。

P5の魅力の一つって、主人公であるジョーカーの身のこなしや所作の一つ一つがかっこいいことにあると思っているので、ワイヤーアクションによりそれが強化されると思えば、全然かまわない。あと先述したシェネワイヤー(離れた敵に瞬時に飛びつく)は普通に有用だった。

 

また、パレスの新しい収集要素として「イシ」が追加され、すべてのイシを集めることでそこそこ強力なアクセサリとなる。

俺はアクセサリは使わなかったけど、収集要素大好きなので全部集めた。たとえ逃しても、あとからなんとかなるので別にいいのだが。

さらに新ペルソナが追加されたことにより、パレス攻略中に思わぬ敵と出会うこともあり、面白かった。カモシダパレスでケットシーが出てきて普通にうれしかった。

 

 

さて、さらに今作ではOP曲や戦闘曲、終盤のボス戦などで新BGMが追加されており、そのどれもが素晴らしかった。

 

OP曲の「Colors Flying High」はP5の随所で使われるフレーズを踏襲しながら比較的明るい曲であるのだが、青春感や仲間への愛情を感じる曲でもある。新規衣装の冬服に身を包んだキャラクターたちが楽しそうにしているOP映像と相まって、ペルソナ4ザ・ゴールデンの「Shadow World」を連想させる幸福感を感じるOPだった。

 

新戦闘曲の「Take Over」は、突き抜けたイントロと、Lynさんの力強いボーカルで戦闘をスタイリッシュに盛り上げてくれる。戦闘曲ではあるが、死闘感は全くない。これがいい。いつか目黒さんがおっしゃっていたように、通常戦闘は主人公にとっては日常の一環であるため、そのBGMもひたすら派手で、負ける気がしない状態の楽しい曲が合っている。

また、チャンスエンカウント以外では無印版の「Last Surprise」が流れるが、たまに聞くと「こっちもいいなあ」としみじみ思う。

 

ラスボス(マルキ)戦のBGM「Throw Away Your Mask」はイントロのピアノから歪んだギターサウンドへと展開し、サビでは悲しさや慈悲を感じさせるメロディーになっている。また、最後のサビ前はラスボス戦とは思えないほど優しい曲調になる。歌詞を見てもわかる通り、これは完全にマルキが怪盗団や人々に投げかけている言葉である。民衆はもちろんのこと、マルキが作った現実に惑わされながらもなんとか抵抗しようとする主人公たちをなおも救おうとしようとし、主人公はそれにあらがう。分かり合えない悲しさがある。

この分かり合えない悲しさを戦いの中で感じることで、それでも勝たなきゃならない、自分たちの現実を取り戻さなければならない、という感情をあおられる、ストーリーや展開に見事に合致した曲だ。

 

ラスボス直前、ラスボス決着時のBGM「I Believe」は、そのマルキの救いに反逆する主人公たちの返答となる曲である。無印版の「Life Will Change」の雰囲気をより昇華させ、自分の正義を信じ、何が何でも現実を取り戻すという意思、そしてその先の未来をつかもうとする主人公たちの希望を感じる曲だ。

まさに最終局面にふさわしく、ストーリーを追って最後にこの曲にたどり着いたとき、思わず泣きそうになってしまう曲だった。

 

 

と、ここまでBGMについて語ったが、とにかくこれらの曲が生まれたことだけでもP5Rはすでに素晴らしい。

 

 

新キャラ

P5Rとして新キャラ「芳澤すみれ」が登場。

(ここで設定とかまで解説するつもりもないのでいきなり「すみれ」呼びでいきます)

マルキの「曲解」によって自分を「かすみ」だと思い込み、のちに自分が「すみれ」であり、すでに亡くなった「かすみ」に対して抱いていた、憎みとそれに反する愛情、そして罪悪感にさいなまれ、一度はマルキの手に落ちてしまう弱さ。

また、「すみれ」であることを自覚したことにより、戦意を失ってしまっているときに、それでも抗うべきとする主人公に対して、「厳しいですね」とつぶやく弱さ。

それから本当のペルソナの覚醒をして、再度抗う意思を持つ強さ。

 

実際主人公は強すぎる。鋼メンタルである。

だからマルキにも、「主人公は強いから元の現実でも生きていける。だがほかのひとはそうじゃない」なんてことを言われる。

しかし主人公が望んでいるのは、弱い人がただ救われる現実ではなく、強くなろうとする人を助けたい、とか、強くなろうとする意志を尊重したい、ということなんだとなんとなく思った。今は弱くてもいい、強くなろうとしろ、というのが主人公の思いなのだと思う。

実際、怪盗団のメンバーは最初から強いわけではなく、その境遇や敵への怒りや仲間がいることによって強さが引き出されている。

そして強さと一緒に歪んだ欲望を持った者を挫くのが、怪盗団の役割だと認識しているのだと思う。

すみれという存在はストーリーを通して、その強くなっていく過程が描かれているキャラクターである。

 

ところで俺すみれ大好きなんすよ。

今までやってきたゲームのヒロインで一番好きです。

ビジュアルも当然好きなんですけど、先述したような成長の過程とか、いろいろ正直なところとか。本当の意味でヒロインって感じがして。

あと武器がレイピアとレバーアクションライフルとかかっけえ。

怪盗服も主人公と親和性あるし、終盤のパーティは主人公、すみれ、明智、モルガナで固定でした。

あと恋人ルートいったときのすみれ可愛すぎない?

多分そのうちすみれを見るためだけに三週目やります。

 

 

 

 

さて、二人目の新キャラ「丸喜拓人」

解説とかは省くとして、マルキの本当に最後の最後まで人々や怪盗団を救おうとする姿勢はすごく好きだった。また、最後の最後でペルソナも使わずに殴り合いになるのは、本当に元の現実にあらがおうとした表れだし、それが叶わず、どうしようもなく叫ぶことしかできない様は、敵ながら悲しかったし、同情もした。

マルキの作った現実は確かに理想だった。双葉の母親も、春の父親も、明智も、死んだという事実はなくなっていて、モルガナは人間になってたし、本当に幸せだったろうと思う。

マルキの現実を受け入れるバッドエンドのほうが、シーンだけを見ればずっとハッピーエンドなのである。

それでも、主人公たちはこのまま何事もない平和な現実を生きようとすることに反抗するし、前まで弱かったはずのすみれも強くなって抗うしで、マルキにとってみれば意味わかんないくらいだと思う。

それくらいに主人公たちが強いのだとも言える。自分たちの苦しんだ過去や、抗い成長してきた過程を放棄できない。無慈悲で不条理な現実に、それでも抗って強くなっていくことが大切なのだというのが主人公の主張なのだろう。

 

それまで改心させてきたカモシダやシドウとは違い、最後まで同情しながら、それでも認められない、なんとしても現実を取り戻してみせる、と、プレイヤーとしていろいろな気持ちを煽られるとても良いキャラクターになっていたと思う。

 

それと、怪盗服(?)はいい感じに宗教感出ててよかったです(褒めてる)。

また、パレスが楽園になっていて知恵の実らしきものがなっていたり、クトゥルフ神話の架空の創造主アザトースから、カバラなどで論じられる原初の人間アダムカドモンに進化したり、マルキが現実の創造主らしいアイコンがあるのも、敵として面白かった。

 

 

 

ストーリー

結局P5Rとして描きたかったのはなんだったろうか。

一つには主人公と明智のライバル関係であると思う。

無印版のころから明智は好きなキャラだったがP5Rでその魅力はさらに深まった。

主人公とは決して心の底からは馴れ合わず、しかしその強さや主張は認めながら、最後まで明智はライバルとして主人公と対等に付き合おうとする。

また、(ここはプレイヤーの選択にもよるものの、)主人公は明智をライバル視するのは最後まで変わらず、しかしその強さや判断力は信用し、最後にはトリックや利用ではなく裏のない協力関係を結んでいく。

また、明智は、元の現実ではおそらく死んだことになっているだと知っていながら、なおもマルキに対して抗おうとしている。それは、明智が企てていた復讐はすでに決着がついていること以外にも、マルキの手の上で踊らされるような生き方を望まないという強さの表れでもある。

非常に高いプライドと独立した強さを持った、たしかに主人公と同格の存在である。

というより終盤では主人公より主人公しているといっても過言ではない。どうみても主人公らしからぬ怪盗服と口調によって、ああこいつ主人公じゃなかったと気づかされる。

 

それと俺だけかもしれないけど、終盤明智もすみれも怪盗団として戦うことになって、明智が「バカ軍団かよ」って言ったとき、単純に笑ったのと同時に、ようやくみんながそろったんだな、って感じがあってすごく嬉しかった。

 

 

 

 

さて、P5Rのストーリーの軸のもう一つは、正義VS正義だと思う。

もちろん怪盗団の正義と、マルキの正義である。マルキの正義には無意識とはいえその他の人々の正義も含まれているだろう。つまり最後の最後は怪盗団VS民衆である。

 

この構図は統制神ヤルダバオト戦と似ている。

ヤルダバオト戦では、怪盗団の死闘に人々が徐々に気づき、その応援、つまり認知の強さが怪盗団の強さとなってヤルダバオトを討つ力となった。

しかし、個人的に、この最後の展開、演出に関しては、ただ熱くさせようというものしか感じず、民衆の応援もいつもの手のひら返しのように感じて、なんとなくもやもやしたものが残っていた(それだけ単純になれない程度の年齢なってしまった、というのもある)

 

が、マルキ戦では人々は依然マルキの現実を望み、抗うのは怪盗団とその協力者のみとなっている。

ここで感じるのが、P5の最序盤、カモシダを相手にした時のことである。このとき主人公たちは身の上に振ってきた不幸と境遇に抗おうとしていた。非常に身近で、現在と未来に直結する問題を解決しようとしていた。それがストーリーが進む中で、スケールだけが大きくなり、なんとなく自身からは遠く、ひたすら民衆を助けようとする意志で戦ってきていたのである。

P5のストーリーに対する批評の一つに、主人公たちの心情についていけない、というものがあった。このスケールの拡張というのがその原因の一つだと思う。

だが、マルキと対峙することになって再び主人公たちは自分たちのために現実を取り返そうとする。それは現在、作られた現実で幸福に浸る人々を再び不条理な現実に引き戻そうとすることでもある。さて、そこで先述していた、「強くなろうとしろ」という主人公の意思である。仮初の現実というぬるま湯で浸っていないで、元の現実で、不条理に晒されながらも、強くなろうとすべきだ。どうしようもないときは、そのときは怪盗団の出番なのだ。というのが、主人公側の意思なのではないか(個人的な感想です)。

 

再び身近なもとして戦う意味を感じることで、マルキ戦はそれまでになかった戦いになった。

互いに譲れないものがあり、どちらにも正義がある。

その中で主人公たちが勝ちを得たのは、その意思の強さにあったのではないか。

また、主人公たちはただ元の現実を取り戻すだけではなく、その先の未来を取り戻そうとする意志があったからこそ、マルキに勝てたのではないだろうか。

マルキの作った現実は、過去を改変し、現在そのものは人々に幸福であったかもしれない。それに打ち克ったのは、主人公たちが持っていた未来への意思だったと思う。

 

 

おわりに

というわけで暑苦しく雑に語ってしまったのだが、

ともかくP5Rは最高に面白かった。

個人的にはペルソナシリーズで一番です。

 

はじめに、で書いたゲーム本編以外の問題に関しては今後どうにかすればいいと思います。

俺は今後もペルソナシリーズは追い続けます。

今度はP5Sの完全クリアをしないと…

 

「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」はいい映画だった(ネタバレあり)

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遅ればせながら「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」を観てきました。

あらすじとかは省いて、感想やレビューを書いておきたいと思います。

※ネタバレを含みます。

 

 

・普通に泣く

 まあ泣くだろうなと覚悟して観ましたが、予想にたがわず、ストーリーの終盤は基本涙目で見ていました。というか涙がこぼれ落ちました。

 なんなら再序盤であのボレロが流れた瞬間から色々懐かしくなって泣きそうになっててた。さらに序盤では現実世界にあのパロットモンが現れるわ、太一はグレイモンでそれに対抗するわで、セルフオマージュを多用することにより、ファンサービスを意識しているのと同時に、本作を本気で作った、というような覚悟のようなものすら感じるほどでした。

 この序盤のボレロやパロットモンVSグレイモンを意識させておいたことにより、終盤のあの笛のシーンがさらに感慨深いものになっているとも思います。太一が笛を吹くシーンは冗談ではなく体が震えた。

 

 また、今回の映画の主題としては、選ばれし子どもたちであった太一とヤマトが大人になることで、パートナーデジモンとのパートナーが解消されてしまうことに直面する葛藤や友情を描いており、すでに大人になってしまった私たちのような観客からすると、二人の気持ちが痛いほどよくわかるのです。

 アグモンやガブモンとの別れが早まるのはわかっていても、ほかの選ばれし子どもたちを助けるために敵と戦うシーンは熱くもあり、泣けもしました。特に絶望的な状況を前にして落ち込む太一とヤマトに向かって「戦おう」と呼びかけるアグモンとガブモンのシーンや、オメガモンに進化してもなお対抗できない敵に対して、それでも戦おうという決意を示し、最後の進化をするシーンはひたすらに熱かったと思います。

 

 そして、最後の戦いが終わり、パートナーデジモンと一緒にいられる時間も短くなり、太一とアグモン、ヤマトとガブモンがそれぞれ隣り合っているシーン。

 ヤマトが吹くハーモニカや、アグモンがふと見上げた太一の背中に対して、「太一、大きくなったね」と呼びかける声にじわじわと涙腺をやられます。

 そして、「明日はどうする?」というアグモンとガブモンの声に、太一とヤマトが答えようとした次の瞬間に、アグモンもガブモンもすでに消えてしまって、ただ泣くしかなくなってしまったシーンは、今これを書きながらでも泣きそうになってしまいます。

 たぶんですが、デジモンであればなんらかのご都合主義で、パートナーデジモンと離れなくても済むような展開にもできたと思います。それでもなお今回の映画で一度別れを描いたという点についてはとても好感が持てました。(もしくは次回作などの布石なのかもしれませんが・・・)

 

 

・90分という短い時間に収められた簡潔なストーリーとそれに対する登場人物の描き方の濃さ

 90分というのはアニメ映画としては普通ではありますが、それでも前作「デジモンアドベンチャーtri.」各6章もそれぞれ90分でやっていたわけで、本映画の時間は決して長くはありません。

 その中で、選ばれし子どもたちを救おうとして暴走してしまったメノアと、それに対して抗おうとする選ばれし子どもたちという簡潔なストーリー、そしてパートナーデジモンとの別れや大人への成長というテーマ、第一世代に加えて第二世代(02組)まで登場させる構成は、ちょうどよくうまくできていたと思います。

 空とピヨモンはもう戦わないことを決めており、それは番外編としてyoutubeなどで公開されており、それもまた大人になっていく過程でひとつの選択をした結果ですし、特に不満も感じませんでした。

 また、02組は海外でメノアやその助手を調査し、他の選ばれし子どもたちを助けるという役割を設けることで、裏方として活躍させることができていました。02組の朗らかで仲良しな感じがすごく良かった。大輔のあの明るさが清涼剤にも感じました。あとブイモン(チビモン)がはちゃめちゃに可愛かった。

 本作オリジナルキャラクターであるメノアについても敵としての掘り下げは適切であったと思うし、声優を務めた松岡さんも違和感を感じることはなかったです。

 

 前作「デジモンアドベンチャーtri.」がいまいち不評な理由の一つには、ストーリーや人物描写の冗長さがあったとおもうのですが、本作ではそういったこともなく、適切なスピードで物語を進め、心情の変化も描き切れていたと思います。また、tri.では毎回進化シーンをフル尺で描いていましたが、今作では不必要に長い進化シーンや、Butter-flyやbrave heartでの盛り上げのごり押しというものもありませんでした。

 

 

・作画や描写

 これもtri.と比較することになりますが、作画は非常に綺麗だったと思います。

 序盤から戦闘シーンでは派手に動いてデジモンならではのかっこよさ(あとエンジェウーモンのエロさも)を感じることができました。

 また、人物の心情を現すように、降り注ぐ雨や窓に流れるその雫などの風景についても力を入れて描いていました。

 

 

・まとめ

 ところで、英語交じりに日本語を話すメノアとか、シーンの切り替えの瞬間に消えてしまったアグモンやガブモンの描写など、なんとなく思い当たるところがある。前者は「シン・ゴジラ」にそんな人がいたし、後者は「君の名は。」のとある場面を思い出す。

 制作会社が「君の名は。」の製作協力をしていたらしいが、それ以上に、近年の映画からなんらかの要素を取り入れようとしていたのでは?という感じがします。

 

 ともかく、本作に関してはデジモンアドベンチャーが好きな方は安心して観ていいと思います。また、tri.で心が折れたという方も本作はお勧めできると思います。

 それだけデジモンアドベンチャーの続編映画としてちゃんと作られていたと思うし、観終わった後にはいい映画だったと思えるだけの余韻を残してくれました。

 今後太一が再びアグモンと出会うための物語をいずれ描くのか、それとも「デジモンアドベンチャー」としては終了とするのかはわかりませんが、個人的には今作で終わってもいいかなとも思っています。

 02のラストで太一はアグモンと一緒にいますしね。

 

 また、2020年4月からTV放送される「デジモンアドベンチャー:」がどうなるのか、ですね。

 

ブログお引越し

もう一年以上更新してなかったけど、

ちょっと時間ができたのでブログをここに引っ越してみた。

 

これを起点にまた更新できればなーと思うけど、

そもそも技術系の話はqiitaに書けばいいのでは?ってところもあるので

こっちにはそれ以外のなんでもないことを書くことになるのかも?

 

いやそれ以外の何でもないことって結局Twitterに書いてるから、

やっぱqiitaに書くほどじゃない技術系の備忘録をここに書いていければ、って感じ。

 

この記事より前のものは引っ越しの過程で画像とかリンクとか壊れてたりするけど、

まあそのままでいいかという感じなので放っておく。

REST APIを叩くInvoke-WebRequest

ブログの広告を消すために久々の更新である

クラサバ環境の導通の確認とかでREST APIを叩きたい。

しかし作ったクライアント側のAPで叩くと、ローカルのDBを書き換えちゃったりするし、

不必要にログを出力してしまうかもしれない。。。

というわけでPowerShellからHTTPメソッドを発行する。

Invoke-WebRequestコマンドレットを使用する。

以下、汎用的に使えそうな流れ。

ところで↑をGistで貼り付けようとしたところ、

なんかGitHubにアカウント作ってないとGist使えないようになってた?

せっかくの機会だからGitHubのアカウントも取った

ブログに書くとなるとちゃんとしたソリューションとかプロジェクトを載せるのって結構面倒で、

つい短いコマンドだとか一部メソッドのみとかになってしまう

そろそろC#以外にも手を出したい。

最初はPython使いたいなーと思ってたけど、

普通にCとかCPPを勉強したくなってきてる最近であった。

あとゲーム作りたい!!!!

【デジモンtri.】第6章見てきた 【ネタバレ】

無題

第一章っていつだっけ?

数年越しでついに終章となる第六章が今月から放映された

デジモンアドベンチャーtri. を見てきました。

六回に分けて劇場に足を運び、Butter-flyを何度も聴き、

パートナーデジモンたちかわええなあってしてきたデジモンtriもついに終わり。

せっかく終章を迎えたわけだし、たまには映画の話をしようと思う。

ネタバレ気にせず書いていくので、まだ見てない人はブラウザバックね。

終章について


まずは第六章自体の感想からいこう。

第五章ってどのへんで終わったんだったけ?

たしかテイルモンとメイクーモンが合体してやばいやつになって、

太一が地割れに落ちたところだったかな?  って感じで入場。

まあ毎回本編始まる前にテキストで前回のあらすじ出るので復習しなくても大体分かる。

さて太一が地底に落ちて、ヒカリちゃんは闇落ち寸前。

テイルモンとメイクーモンが合体したやばいやつ(オルディネモン)は空に消えていったため、

選ばれし子供たちはとりあえず現実世界に帰ることに。

若干太一が落ちたことをひきずる描写があったけど、

気になるほどあっさりでもしつこくでもなかったので安心。

(観ているこっちとしてどうせ無事だろと思ってるから、あんまり引きずられてもちょっと困る)

さて帰った現実世界は、オルディネモンを利用したイグドラシルによってデジタルワールドと融合しつつあった。

というかデジタルワールドに取り込まれるって感じ。

やべえよやべえよって感じだけど、できることは無いのでとりあえずコーシローはんの家に集合。情報収集。

この時点でヒカリちゃんは体調を崩して戦線離脱。

俺もそろそろ体調不良で会社休みたい。

そしてここで一つ目の泣きポイント。

太一が残したゴーグルを手に黄昏るヤマト。

太一がいなくなったことに不安を感じているのだろう。

そんなヤマトの背中に、いや足にしがみつくガブモン。

「俺はここにいる」「ヤマトなら太一の代わりをやれる」

「この先何があってもオレはヤマトといる」

特に最後の「ヤマトといるためなら、世界だって救うよ」みたいな台詞のとこでこっちの涙腺が危なくなった。

あのシーン、デジモンの中でもまじで名シーンになると思うんですけど、どうでしょう?

ヤマトとガブモンは特にパートナーの絆が強いって感じがするんだよね。

初代から二人っきりでハーモニカ吹いたりするシーンが印象的だったからかな。

そんなこんなでオルディネモンが現実世界に現れる。

オルディネモンが触れたものは消え、降らせた雨はビルを融かしていく。

選ばれし子供たちはパートナーを進化させて戦うが、当然太刀打ちできない。

そこにハックモンが現れ、「イグドラシルの思いのままに現実世界をデジタルワールドに取り込ませるのは、

我々ホメオスタシスとしても防ぎたい。そのためには、現実世界側をリブートするしかない」

この最終手段はほっほう、となったね。

現実世界のデジタルがリブートされれば融合は止まるのか?ってとこはよく分からんが、

ともかく直接的な犠牲は少なくなるらしい。

それでもデジタル機器が一時的に使えなくなるだけで、間接的な犠牲はやばいことになる。

結局選ばれし子供たちにとっては、イグドラシルホメオスタシスも味方ではない。

つまり一番犠牲が少ないエンディングを探さなければならなくなったのだ。

コーシローはんはリブートに納得できず、いち早く別の方法を探すために、オルディネモンがおとなしい間に戦線離脱。

ちなみにタケリュ(パタモン並感)もヒカリちゃんの付き添いで離脱中。

場面変わって謎の研究施設的なとこ。

予想通りぴんぴんしている太一と、思った以上に深手の傷を負った浪川先生(キャラ名忘れたから声優名で)。

そこには同じく、転送装置兼生命維持装置に入れられた02メンバー。

第一章で02メンバーがやられてるシーンがあったけど、ここにいたんだね。

しかも生かしていたのはイグドラシル。なぜや。

加えて02メンバーはなんらかの事情によってシルエットのみしか見えない。

若干残念だったが、終章でいきなりドカドカ出てこられてもストーリーが混乱するので致し方なし。

さて、そこにゲンナイさんの姿をしたイグドラシル側のエージェントが現れる。

02メンバーの生命維持装置を停止させ、現実世界への転送装置を使えば施設は消失すること、

02メンバーの分のほかに残っている転送装置は後一つであることを告げ、やたら煽って消える。

浪川先生はうまいこと太一を誘導して、

太一、02メンバーを強制的に現実世界に転送させる。

太一が転送される寸前、浪川先生は最後の力を振り絞って「夢はでっかく」と言い放って事切れる。

この台詞、第一章でも出てきたよね?

こういう演出よえーんだよ。

叫ばない浪川さんは普通にうめーし。

さて場面は現実世界に戻る。

ともかくリブート準備は始まってしまった。

カウントダウン表示がウォーゲームを思い起こさせる。

カウントゼロになるまで被害を抑えるため、オルディネモンに抵抗する子供たち。

しかしそろそろやベーよ、ってときに、コーシローはんが現れる。

ついでにヒカリちゃんとタケリュも。

コーシローはん曰く、

「メイクーモンはすべてのデジモンの記憶を所有している。リブート前の記憶を含めて。

そしてメイクーモンの中にひとつロックがかけられたデータがある。

おそらくイグドラシルがメイクーモンを暴走させるために、いろいろと優しい感情をロックしているのだろう。

ロックを解除できれば状況を変えられるかもしれない」

そしてそのロックは芽心にしか解けない。

そのパスワードこそ、第一章、いや、

初代デジモンアドベンチャー劇場版「ぼくらのウォーゲーム」から出ていたあの言葉・・・!

そう、「だんだん」!!!!!!!

かくしてデジモンたちの記憶は完全に元に戻り、

テイルモンはオルディネモンから開放される。

しかしメイクーモンは依然としてイグドラシルにより暴走。

芽心に襲い掛かる。

が、満を持して太一登場。

ヒーローは遅れてなんちゃら。

ウォーグレイモン、メタルガルルモンは合体し、オメガモンに、

そしてさらに他のデジモンから受け取ったパワーで真っ白の羽と体のオメガモン マーシフルモードへ

このマーシフル、おそらくmercifulで、「慈悲深い、情けの有る」という意味。

merciful deathで「安楽死」。

ヒカリちゃんは太一に「やめてくれ」と伝えるが、

第五章ラストから決意していた太一は、メイクーモンを殺すことを選ぶ。

ヒカリちゃんに対しては「俺を恨め」と言う。

それを聞いたヒカリちゃんも覚悟決めてテイルモンを進化させる。

このときのオメガモン マーシフルモードの圧倒的な強さは、

それこそウォーゲームのときのオメガモン初登場時並の神々しさがあったね。

ずるいくらいにかっこいい。

一刀のもとにオルディネモンを断ち切り、

現実世界はデジタルワールドに取り込まれもせず、そしてリブートもされず、

お台場だけめちゃくちゃになって世界は救われるのであった。

最後のメイクーモンと芽心のシーンも泣きそうになった。

なんならエンディングのButter-flyで子供たちとパートナーデジモンが掛け合いをするところだけでも泣きそうになった。

いや、もう選ばれし子供たちは子供ではなくなった。

自分で望んだ未来のために全力をつくそうとする彼らは、未来を選ぶ大人になりかけているのだ。

全体通して


そんなこんなで数年にわたってやってきたtriは終わったわけですが、

全体を通して感じたのは、若干上映のペースが遅かったっていうことがまずひとつかな。

二章以降は二人ずつに焦点当てたストーリーでもあったけど、

期間が開くと、結局覚えてるのは全体通した中心的なストーリーが大半で、

前回誰と誰に何があったかは忘れちゃうんだよね。

後半からは次回上映時期が明記されないこともあって、見ている側としては不安だったよ。

とはいえ、さっきも書いたように中心のストーリーでは台詞や伏線の回収もあったし、

デジモンらしい意外なダークさもある感じでよかったかな。

tri.の新キャラとして芽心とメイクーモンがいたわけだけど、逆にもう少し露出は減らしても良かったのではとは思う。

こっちはあの選ばれし子供たちがわいわいやってるところをみたいので、

イレギュラーがいるだけで若干違和感あるのよね。

まああんまり露出控えてもストーリー後半は中心人物になることは目に見えていて、

そこが薄くなったら元も子もないってのは分かるんだけどね。

ところでtri.は最初テレビアニメって話なかったっけ?

何の事情によるのかは分からんけど、劇場版になることによって、多分ハードルあがっちゃった感あるかな。

いや、テレビアニメのほうが誰でも見れるようになって却ってネガティブな意見が増えたかな。

どっちだろうね。

ところで続編フラグあったね。

エンディング後に「新プロジェクト始動」の文字と、アグモンの声で「また劇場で会おう」みたいな。

02編か!?

イグドラシル・ゲンナイも「次はデーモンか、ディアボロモンか」とか言って消えたし。

tri.の直接の続編かは微妙かもしれないけど、映画は確定っぽいね。

多分次も見るんだろうなー。

大事な余談


Amazonのレビューみたんすよ、tri.の。

まあAmazonのレビューってのはたいてい便所の落書きよりセンスが悪くて、

人の意見に流されやすくて同調したがるものが多いっしょ。

基本あてにするもんじゃないし、高評価も低評価も見る意味はほぼないんす。

それでも一応世間的にどういう評価なのかなって感じで見ましたが、

tri.は半々って感じでした。

昔の思い出を汚されたとかいって最低評価下す人もいれば、

デジモンが出ればそれでいいって感じで最高評価の人もいる。

最近のデジモン関連の、映画とか関係ないビジネス的な動きを見て、

それを映画の評価に関連付けさせている的外れもいれば(映画なんだから映画単体見ろよとは思う)、

ちゃんといい点悪い点あげて評価つけてる人もいる。

大事なのは、本当に作品を見たかどうかも分からない人のレビューに流されて自分の評価を下す、

みたいなことがないようにすることだね。

初代デジモンを与えられるものとして見ていたぼくらも、

今はもう見たいものを見て、自分で評価を下せる大人になっているはずだ。

tri.を見て思い出を汚されたという気持ちも確かにあるかもしれないが、

そもそもそんなのは予想できたことじゃなかったのか?

昔のアニメの続編を今風に作るって少なからず覚悟がいることだろ?

作る側見る側お互いに。

まあそれでもあかんかったっていうならそれは残念だけど仕方ない。

ただ否定的な意見を他人にも押し付けようとするのは、引き際を弁えてほしい。

もちろんそれは肯定的な人についてもそう言えるけど。

つまり自分の意見はちゃんと隠しもって、

聞かれたときだけ答えようねって話。

あと、やっぱデジモン好きって話。

WEB API風にHTTP使ってXMLをGET,POSTするプログラム

RESTfulなAPIというやつを作る。

HTTPで標準的に使えるメソッドであるGET, POSTを用いて、XMLのやり取りを行う。

実験用なので基本的なことしかしていない。

RESTful APIについては以下参照。

参考 : RESTful APIとは何なのか

https://qiita.com/NagaokaKenichi/items/0647c30ef596cedf4bf2

今回はAPIも自作するので、サーバー側でGET, POST要求を受けるAPIと、

クライアント側としてGET, POST要求をするコンソールアプリを作成する。

まずはサーバー側。


Visual Studioで新しいプロジェクトを開始し、

WEBフォームを作成する。

aspxファイルはほとんどいじらず、コードビハインドのaspx.csファイルに以下のように記述する。

GET要求に対してレスポンスしているxmlは以下

このプロジェクトをデバッグ実行すると、

こんな感じ。

無題

このページでブラウザがしているHTTP要求を見ると(IEだと右クリの「検証」→Network→Headersで確認できる)、

Http RequestがGET要求をしているため、xmlを表示していることがわかる。

次にクライアント側。


Visual Studioで新しいプロジェクトを作成して、コンソールアプリケーションを作る。

まずはGET要求を投げるほう。

名前はtestGetClientとでもしよう。

ソースは以下。

localhostデバッグ実行するときは、先に作成したサーバー側のアプリケーションをデバッグ実行しながら。

デバッグすると、コンソールにさっきのxmlが表示され、さらにローカルにそのxmlがシステム日時付の名前で保存される。

続いてPOST要求を投げるコンソールアプリケーションを作成する。

同じソリューション内に新しいプロジェクトでコンソールアプリを作り、以下のソースを記述する。

ここではクライアント側にあるxmlをストリーム読み込みしてPOSTしている。

デバッグすると、コンソールにはPOSTしたレスポンスとして、POSTしたxmlを表示し(若干ややこしい)、

同時にクライアント側にPOSTしたxmlをシステム日時付で保存する(サーバー側に保存するようにしたほうがわかりやすい?)。

ちなみにクライアントからPOSTしているxmlは以下

以上。

最近インディーズゲームにハマりつつある。

ABZUとかFIREWATCHとか。

Everybodys gone to the raptureも面白かったなあ。

ABZUは最近ゲームやっていてまじで声出るほど感動したのでまじでお勧め。

デカイ海洋生物だったり、深海なんかが好きな人には興奮するポイントがたくさんある。

しかも現存する生物だけだと思っていたら、終盤ではまさかの生物が出てきたりするので、ほんと、

ほんともう、やばい。

ストーリーとかはあってないようなものではあるんだけど、画面の美しさだけで泣けるくらいに綺麗なゲームだった。

という近況報告含めてひさびさの更新でした。