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【レビュー】「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を私は絶賛したい

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2018年に公開した映画を今更ながらレビューしたいと思う。

というのも最近になってポケモン熱が再燃して、その流れでついこの間初めて観たばかりなのだが、ポケモン映画として本作はあまりに革新的であり、既存のポケモン映画と同じ認識をされ、スルーされるにはもったいなく、少しでも本作の布教に貢献できるならばレビューしないわけにはいかないと考えたからである。

 

 

まえがき

あらすじはこちらから引用する(https://www.pokemon-movie.jp/history/history2018/

人々が風と共に暮らす街・フウラシティでは、1年に1度だけ開催される“風祭り”が行われていた。
祭りの最終日には伝説のポケモン・ルギアが現れて、人々はそこで恵みの風をもらう約束を、昔から交わしていたという。

ポケモン初心者の女子高生、リサ。
嘘がやめられなくなってしまったホラ吹き男、カガチ。
自分に自信が持てない気弱な研究家、トリト。
ポケモンを毛嫌いする変わり者のお婆さん、ヒスイ。
森の中で一人佇む謎の少女、ラルゴ。

偶然、風祭りに参加していたサトシとピカチュウは、5人の仲間たちと出会う。それぞれが悩みを抱え、パートナーのポケモンと一歩を踏み出せない中、みんなが出会うことで、運命の歯車が動き出す……。

ルギアとの約束は守られるのか?
そして幻のポケモンゼラオラの正体とは??

今、人とポケモン、みんなの絆が奇跡を起こす――。

 

以降、ネタバレありでレビューしていこう。

 

 

作画・声優について

まずアニメという媒体特有の要素として作画とキャラの声について焦点を当てていこう。

 

作画・デザインに関しての不満はまるでない。

予告公開当初などはサトシがめっちゃ可愛くなっていることなどから話題になったこともあったようだが、本編を見ればわかるであろう、サトシの純粋な少年らしさ、そして本作の持つ雰囲気に合わせたヒーロー像を描くにあたっては本作のデザインはちょうどよく、むしろこれまでのTVシリーズのキャラデザインではブレるだろう。

 

もちろん他のキャラクターに関しても言うことなしである。初見で注目を引くであろうリサは女子高校生という立場であり、これまでのポケモンではなかなか見ることもない現代に沿ったデザインがされている。ゲームやアニメという媒体で普及してきたポケモンという世界をより身近に感じられる導入にふさわしい。

 

本作の舞台となるフウラシティの街並みや、そこに住む人々、また風祭りに訪れた旅行客や、彼らのポケモンや野生ポケモンが、それぞれ丁寧に描かれている。ポケモン映画においてこれだけのモブの様子が生活感を感じられるレベルに描かれているのも珍しいのではないだろうか。

 

主人公格のキャラクターたちの表情づけも良くされている。

序盤のシーンでゲットレースに出場しているサトシとピカチュウが、バンギラスを救おうとする場面があるが、「バンギラスをあそこまで誘導してくれ」と言うサトシに対して、ピカチュウが「おいおい冗談だろ?」とか「また無茶言って―」みたいな呆れたような表情をするシーンは特に印象深い。

この描写だけで、すでにサトシとピカチュウの仲がかなり深いであろうこと、サトシのピカチュウ本来の気質のちょっと生意気感あるところなんかが読み取れる。

 

あるいはまた、中盤に傷ついたイーブイを観てヒスイが苦々しい表情をするシーンが一瞬挟まれる。ポケモンを遠ざけているヒスイがこの表情をすることから、本来はポケモンに対して悪い感情は抱いていないことが読み取れるし、また過去に何かがあったのだろうであろうことの伏線にもなっている。

 

このように人物、ポケモンの表情が実に豊かに描かれている一方で、メインキャラクターの声についてもこれと言った不満がない。

ポケモン映画は代々ゲスト声優的に、本職が声優ではない人が声をあてることは多かったが、今作において、サトシ以外のメインキャラクター5人はヒスイを除いて本職が声優ではない。しかしそこに違和感がほとんどない。

というより一回映画観てから、あ、この声この人だったんだって感じだった。

 

いろんな理由からゲスト声優は入れなければならないであろうポケモン映画において、これだけのクオリティを出せたのは素晴らしいことだろう。

 

 

キャラクター

あらすじを見てもわかる通り、本作は群像劇である。

メインキャラクターはサトシ含め6人ということで、一人ひとり取り上げて振り返ろう。

 

リサ

彼女は最も異質な存在であろう。

ストーリーでフウラシティを訪れるまでポケモンとの関わりがほとんどなく、彼女が個人的に抱える悩みも、陸上競技における怪我で走るのが怖くなってしまったというポケモンとは一切関係のないものとなっている。

このキャラクター像は映画を観ている私たち自身と最も近しい。

彼女と言う存在のおかげで、「一時期ポケモンはやっていたり見たりしてはいたけど最近は観てない人」や「そもそもポケモンしらない人」が自己投影をしやすくなっている。

また、現実世界との唯一の違いであるポケモンという存在の有無を明確にしている。彼女はポケモンの存在のおかげで、終盤には恐怖を克服し、走ることができるようになっている。

観客の間口を広げたうえで、ポケモンという世界の魅力を伝える、ストーリー以外の部分でもキーパーソンとなるキャラクターである。

彼女の言動やリアクションも等身大で、抱える悩みも現実的に誰にでもありそうなものであり、親しみやすい。

そんな普通な人間がサトシにたきつけられ、イーブイに励まされ、スタートを切るあの瞬間は普通に涙目になりました。まあこのシーンの前後はだいたい涙腺緩くなってるんだけど。

 

カガチ

彼は本作において裏の主人公と言っていい。

見た目はもうおっさんで、スマートとは言えない言動や見た目をしている彼は、姪にいいところを見せるためひたすら嘘をつき続け、しまいにはその嘘がトラブルから暴かれて、姪に「大嫌い」と言われてしまう。

そんな彼を助けたのはゲットレースで妙に懐かれたウソッキーであった。ウソッキーという嘘をつくのが習性のポケモンが、嘘をつく男の相棒となり、互いに支えあう様は本作でも涙を誘う場面であろう。

サトシとピカチュウを除いて本作で相棒らしさが最も出ていたのはこの二人であった。

また、彼については序盤から丁寧に描写され、伏線もよく張られていた。姪を溺愛していることは言動の端々から見受けられたし、ゲットレースやストラックアウトでの投球の腕の良さは、終盤における解毒薬の散布に役立てられた。

 

また、メインキャラクター内で唯一、サトシという存在なしに克己した人間である。

 

トリト

彼は人と話すことが苦手で、研究発表の代役をカガチに頼もうとするが、トラブルに見舞われて一度挫折する。彼を支えたのはやはり彼のポケモンたちであり、きっかけとしてはサトシであった。

本作において手持ちポケモンが一番多いキャラクターであり、特にラッキーに寄り添うように支えられるシーンが多かった。

研究発表が失敗した後に、木の陰に座り込む彼と背中合わせに座り込むラッキーの姿が印象的である。

 

ヒスイ

最初は街にいそうな厄介なおばあさん、みたいな印象であったが、彼女がポケモンを避ける理由はきちんとあり、それもなかなか重いものであった。

彼女はストーリーでも触れられる50年前の山火事で手持ちポケモンだったブルーを失くし、ブルーが遺した風車のカギを大事にとっている。彼女は手袋をはめているが、回想シーンでブルーから鍵を託される際に火の中に手を突っ込んでいることから、おそらくそのときに火傷したのだろう。

上述しているが、傷ついたイーブイを前に苦々しい表情をした原因はここにあったのである。

トリトの研究材料である「あまいかおり」を使った薬品で勝手に野生ポケモンが寄ってくる様も面白い。みな愛嬌のあるポケモンたちで、個人的にはネイティオがツボだった。

彼女が終盤、山火事を前にしてブルーの面影を見るシーンは良かった。普段ポケモンを毛嫌いし、遠ざけていた彼女がかつてのブルーのことを「大好きだったあいつ」と呼ぶ場面は涙がにじむ。

 

ラルゴ

本作のゲストポケモンゼラオラ」を匿う少女である。

幼いながらとてつもない行動力を持った子である。

カガチがレアポケがいる発言をしたことにより、死んだとされていたゼラオラの存在が露見するのではないかと危惧に、観光客を遠ざけるため、風祭りの中止を画策するほどである。

考えてみると本作における最大のトラブルメーカーであるのだが、すべてはゼラオラを守るためであった。

人間を敵視していたゼラオラに、「人間がポケモンから力をもらえるように、その逆もあったらいいな(意訳)」と語りかけるシーンは印象的である。

 

 

群像劇として

そもそもこれまでのポケモン映画と言うのは、サトシと、そのときのTVシリーズの仲間たちが、ある街を訪れて伝説級ポケモンといろいろあって…というようなTVシリーズとの相違は新しい街、新しいポケモン、くらいのものであった、と思う。

前作の「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」では初代TVシリーズのリブート的な映画で、それまでの映画とは違いロードムービー的なものであった。ポケモン映画としては異質ではあるが、TVシリーズを映画にまとめた、という感じでそれほどの新鮮さは感じられなかった。

 

対して本作では群像劇という形をとり、映画でもTVシリーズでもゲームでもなかった展開を見せた。これは長年シリーズを続け、伝統を続けてきたポケモン映画において、非常に革新的、挑戦的であり、その意欲だけでも十分に評価に値する。

 

そのうえで本作は群像劇として一定の質を保っている。

ストーリー序盤では互いに関わりのなかったメインキャラクターたちが、互いの利益やその時の偶然から交わり始める。

中盤ではラルゴやロケット団らが起こした事件が絡み合って事態を悪化させる。

終盤ではサトシという圧倒的ヒーローに引っ張られ、ポケモンに支えられ、各々が事態の対処にあたる。

 

キャラクター同士の心理的な相互作用はもちろん、ストーリー上の事象もそれぞれのキャラクターが少しずつ関わっている。

群像劇はその性質上キャラクターの深堀りが難しいところがあるが、本作では不満に思うほどに掘り下げがされていない、と言うこともなかった。人々の抱える悩みや過去を、伏線や表情から察することはできたし、ここぞという場面でカタルシスを感じさせる展開もできていた。

 

そもそも2時間の映画で群像劇をまとめるというのはただでさえ難しいものである。それを設定上破綻させいないようにできたとしても、キャラや要素の関連を観た人間にちゃんと理解させるのには、説明をどこまでして、どこからを観た人間の考察力にゆだねるかという理詰めだけではできない部分もあると個人的には思っている。

それを本作は、ポケモンと言う要素を加えながらも破綻させずにまとめてみせたという時点で、もはやポケモン映画という枠を超えて評価されるべき作品になっているのではないだろうか。

 

※私は同じ群像劇の映画で「スナッチ」という映画が好きなのだが、初回観たときはキャラや展開の前後関係を把握しきれなかった。

まあ「スナッチ」は本作と比べてキャラ数多かったり、時系列が前後していたりという特徴もあるが、ポケモン視聴者の年代を考えれば本作は十分に複雑なほうだと思う。

 

 

無駄なシーンがない

本作において無駄なシーンはない。

序盤はフウラシティの街並みやモブのカット多くなりがちだが、本作の舞台はその都市構造を把握することも大事であり、また、風祭りというイベントの雰囲気を出すためにもこれらのカットは必要であり、また十分でもあった。

また序盤から伏線が貼られている。

いくつかピックアップしていこう。

  • ドーブルのインクを使用した薬品が割れたことは、のちにラルゴが聖火を盗んだ犯人を特定するのに繋がっている。そのおかげでラルゴはピンチを救われる。
  • ゲットレースでロケット団が販売していたラムの実ジュースは、のちに解毒薬として使用される。
  • リサが弟のリクから受け取ったサングラスは、のちにリクがリサを誘導して聖火を届けるのに役立てられる。
  • リク=MCポケランはエンドロール後に明かされる。なんでも当時のTVシリーズにも登場していたとか。
  • ヒスイの手袋やイーブイへの表情は、過去にブルーを失ったことに起因している。
  • カガチの投球コントロールは終盤の解毒薬散布に役立てられる

 

また、伏線とは言えないが人物の関係性を表すシーンも良く描かれている。

総じて無駄と感じるシーンはなく、あらゆるカットがなにかを含意していると捉えられた。

 

まとめ

タイトルにも書いた通り、私は本作を絶賛したいと思う。

映画そのものも、ポケモン映画という伝統や背景を含めても。

 

 

さて、上述のキャラクター一覧で実は一人取り上げていないキャラがいる。

そうサトシである。

あえてここで最後の主人公であるサトシを取り上げて、このレビューを終わろう。

 

サトシ

当然のことながら、本作のメイン主人公である。

本作のサトシはヒーローとして完成されている。相棒のピカチュウとの絆も固く、本作においては悩みや葛藤もなく、熱くて爽やかなやつである。

 

そして見せ場はきっちり作る。

序盤のゲットレースではサトシらしい生身でぶつかっていくスタイルでバンギラスを助け、

中盤の毒霧に覆われた街を前に立ちすくむ人々の中から真っ先に一歩を踏み出し、

終盤の対ゼラオラではやはり生身で電撃を浴びていく。

 

というかサトシの電撃耐性高すぎて笑う。

ゼラオラの電撃音やエフェクトって、ピカチュウのものと差別化する意味もあって特殊なものになってるんだけど、その電撃を浴び続けながら立っていられるサトシはもはやポケモン

 

それと、いよいよゼラオラの電撃に耐えられなくて、サトシが倒れるシーン。

あそこで下手に長尺とらずに、すぐに起き上がったことに関しては、ストーリー的によかったと思う。劇場版においてサトシって何回か死んでると思うんですが、ああまたこのパターンかよ、となるのも嫌なので、すぐ立ち上がってくれてよかった。これはサトシがこのストーリーにおいてはその役回りではないことを、ちゃんと製作側も意識しているんじゃないかと思われて良かった。

 

そう、本作においてサトシは最強でなければならないのである。それはサトシの葛藤や克己を描いている余裕はないというのもあるし、それを視聴者が望んでいるとも思われないからである。

それを意識してかどうか、ともかく本作のサトシのヒーロー像は良くできていた。

 

多様なキャラクターが一つの街に集まってわちゃわちゃしている中で、

サトシが首を突っ込み、巻き込み巻き込まれ、

みんなに一歩踏み出すきっかけを与えて、そして颯爽と去っていく。

なんか気持ちのいい奴が、風のように一つの街を通り過ぎて行った。

 

そんな爽やかさが本作のサトシの魅力であり、

同時に映画の読後感の良さに直結していた。