【デジモンtri.】第6章見てきた 【ネタバレ】
第一章っていつだっけ?
数年越しでついに終章となる第六章が今月から放映された
デジモンアドベンチャーtri. を見てきました。
六回に分けて劇場に足を運び、Butter-flyを何度も聴き、
パートナーデジモンたちかわええなあってしてきたデジモンtriもついに終わり。
せっかく終章を迎えたわけだし、たまには映画の話をしようと思う。
ネタバレ気にせず書いていくので、まだ見てない人はブラウザバックね。
終章について
まずは第六章自体の感想からいこう。
第五章ってどのへんで終わったんだったけ?
たしかテイルモンとメイクーモンが合体してやばいやつになって、
太一が地割れに落ちたところだったかな? って感じで入場。
まあ毎回本編始まる前にテキストで前回のあらすじ出るので復習しなくても大体分かる。
さて太一が地底に落ちて、ヒカリちゃんは闇落ち寸前。
テイルモンとメイクーモンが合体したやばいやつ(オルディネモン)は空に消えていったため、
選ばれし子供たちはとりあえず現実世界に帰ることに。
若干太一が落ちたことをひきずる描写があったけど、
気になるほどあっさりでもしつこくでもなかったので安心。
(観ているこっちとしてどうせ無事だろと思ってるから、あんまり引きずられてもちょっと困る)
さて帰った現実世界は、オルディネモンを利用したイグドラシルによってデジタルワールドと融合しつつあった。
というかデジタルワールドに取り込まれるって感じ。
やべえよやべえよって感じだけど、できることは無いのでとりあえずコーシローはんの家に集合。情報収集。
この時点でヒカリちゃんは体調を崩して戦線離脱。
俺もそろそろ体調不良で会社休みたい。
そしてここで一つ目の泣きポイント。
太一が残したゴーグルを手に黄昏るヤマト。
太一がいなくなったことに不安を感じているのだろう。
そんなヤマトの背中に、いや足にしがみつくガブモン。
「俺はここにいる」「ヤマトなら太一の代わりをやれる」
「この先何があってもオレはヤマトといる」
特に最後の「ヤマトといるためなら、世界だって救うよ」みたいな台詞のとこでこっちの涙腺が危なくなった。
あのシーン、デジモンの中でもまじで名シーンになると思うんですけど、どうでしょう?
ヤマトとガブモンは特にパートナーの絆が強いって感じがするんだよね。
初代から二人っきりでハーモニカ吹いたりするシーンが印象的だったからかな。
そんなこんなでオルディネモンが現実世界に現れる。
オルディネモンが触れたものは消え、降らせた雨はビルを融かしていく。
選ばれし子供たちはパートナーを進化させて戦うが、当然太刀打ちできない。
そこにハックモンが現れ、「イグドラシルの思いのままに現実世界をデジタルワールドに取り込ませるのは、
我々ホメオスタシスとしても防ぎたい。そのためには、現実世界側をリブートするしかない」
この最終手段はほっほう、となったね。
現実世界のデジタルがリブートされれば融合は止まるのか?ってとこはよく分からんが、
ともかく直接的な犠牲は少なくなるらしい。
それでもデジタル機器が一時的に使えなくなるだけで、間接的な犠牲はやばいことになる。
結局選ばれし子供たちにとっては、イグドラシルもホメオスタシスも味方ではない。
つまり一番犠牲が少ないエンディングを探さなければならなくなったのだ。
コーシローはんはリブートに納得できず、いち早く別の方法を探すために、オルディネモンがおとなしい間に戦線離脱。
ちなみにタケリュ(パタモン並感)もヒカリちゃんの付き添いで離脱中。
場面変わって謎の研究施設的なとこ。
予想通りぴんぴんしている太一と、思った以上に深手の傷を負った浪川先生(キャラ名忘れたから声優名で)。
そこには同じく、転送装置兼生命維持装置に入れられた02メンバー。
第一章で02メンバーがやられてるシーンがあったけど、ここにいたんだね。
しかも生かしていたのはイグドラシル。なぜや。
加えて02メンバーはなんらかの事情によってシルエットのみしか見えない。
若干残念だったが、終章でいきなりドカドカ出てこられてもストーリーが混乱するので致し方なし。
さて、そこにゲンナイさんの姿をしたイグドラシル側のエージェントが現れる。
02メンバーの生命維持装置を停止させ、現実世界への転送装置を使えば施設は消失すること、
02メンバーの分のほかに残っている転送装置は後一つであることを告げ、やたら煽って消える。
浪川先生はうまいこと太一を誘導して、
太一、02メンバーを強制的に現実世界に転送させる。
太一が転送される寸前、浪川先生は最後の力を振り絞って「夢はでっかく」と言い放って事切れる。
この台詞、第一章でも出てきたよね?
こういう演出よえーんだよ。
叫ばない浪川さんは普通にうめーし。
さて場面は現実世界に戻る。
ともかくリブート準備は始まってしまった。
カウントダウン表示がウォーゲームを思い起こさせる。
カウントゼロになるまで被害を抑えるため、オルディネモンに抵抗する子供たち。
しかしそろそろやベーよ、ってときに、コーシローはんが現れる。
ついでにヒカリちゃんとタケリュも。
コーシローはん曰く、
「メイクーモンはすべてのデジモンの記憶を所有している。リブート前の記憶を含めて。
そしてメイクーモンの中にひとつロックがかけられたデータがある。
おそらくイグドラシルがメイクーモンを暴走させるために、いろいろと優しい感情をロックしているのだろう。
ロックを解除できれば状況を変えられるかもしれない」
そしてそのロックは芽心にしか解けない。
そのパスワードこそ、第一章、いや、
初代デジモンアドベンチャー劇場版「ぼくらのウォーゲーム」から出ていたあの言葉・・・!
そう、「だんだん」!!!!!!!
かくしてデジモンたちの記憶は完全に元に戻り、
テイルモンはオルディネモンから開放される。
しかしメイクーモンは依然としてイグドラシルにより暴走。
芽心に襲い掛かる。
が、満を持して太一登場。
ヒーローは遅れてなんちゃら。
ウォーグレイモン、メタルガルルモンは合体し、オメガモンに、
そしてさらに他のデジモンから受け取ったパワーで真っ白の羽と体のオメガモン マーシフルモードへ
このマーシフル、おそらくmercifulで、「慈悲深い、情けの有る」という意味。
merciful deathで「安楽死」。
ヒカリちゃんは太一に「やめてくれ」と伝えるが、
第五章ラストから決意していた太一は、メイクーモンを殺すことを選ぶ。
ヒカリちゃんに対しては「俺を恨め」と言う。
それを聞いたヒカリちゃんも覚悟決めてテイルモンを進化させる。
このときのオメガモン マーシフルモードの圧倒的な強さは、
それこそウォーゲームのときのオメガモン初登場時並の神々しさがあったね。
ずるいくらいにかっこいい。
一刀のもとにオルディネモンを断ち切り、
現実世界はデジタルワールドに取り込まれもせず、そしてリブートもされず、
お台場だけめちゃくちゃになって世界は救われるのであった。
最後のメイクーモンと芽心のシーンも泣きそうになった。
なんならエンディングのButter-flyで子供たちとパートナーデジモンが掛け合いをするところだけでも泣きそうになった。
いや、もう選ばれし子供たちは子供ではなくなった。
自分で望んだ未来のために全力をつくそうとする彼らは、未来を選ぶ大人になりかけているのだ。
全体通して
そんなこんなで数年にわたってやってきたtriは終わったわけですが、
全体を通して感じたのは、若干上映のペースが遅かったっていうことがまずひとつかな。
二章以降は二人ずつに焦点当てたストーリーでもあったけど、
期間が開くと、結局覚えてるのは全体通した中心的なストーリーが大半で、
前回誰と誰に何があったかは忘れちゃうんだよね。
後半からは次回上映時期が明記されないこともあって、見ている側としては不安だったよ。
とはいえ、さっきも書いたように中心のストーリーでは台詞や伏線の回収もあったし、
デジモンらしい意外なダークさもある感じでよかったかな。
tri.の新キャラとして芽心とメイクーモンがいたわけだけど、逆にもう少し露出は減らしても良かったのではとは思う。
こっちはあの選ばれし子供たちがわいわいやってるところをみたいので、
イレギュラーがいるだけで若干違和感あるのよね。
まああんまり露出控えてもストーリー後半は中心人物になることは目に見えていて、
そこが薄くなったら元も子もないってのは分かるんだけどね。
ところでtri.は最初テレビアニメって話なかったっけ?
何の事情によるのかは分からんけど、劇場版になることによって、多分ハードルあがっちゃった感あるかな。
いや、テレビアニメのほうが誰でも見れるようになって却ってネガティブな意見が増えたかな。
どっちだろうね。
ところで続編フラグあったね。
エンディング後に「新プロジェクト始動」の文字と、アグモンの声で「また劇場で会おう」みたいな。
02編か!?
イグドラシル・ゲンナイも「次はデーモンか、ディアボロモンか」とか言って消えたし。
tri.の直接の続編かは微妙かもしれないけど、映画は確定っぽいね。
多分次も見るんだろうなー。
大事な余談
Amazonのレビューみたんすよ、tri.の。
まあAmazonのレビューってのはたいてい便所の落書きよりセンスが悪くて、
人の意見に流されやすくて同調したがるものが多いっしょ。
基本あてにするもんじゃないし、高評価も低評価も見る意味はほぼないんす。
それでも一応世間的にどういう評価なのかなって感じで見ましたが、
tri.は半々って感じでした。
昔の思い出を汚されたとかいって最低評価下す人もいれば、
デジモンが出ればそれでいいって感じで最高評価の人もいる。
最近のデジモン関連の、映画とか関係ないビジネス的な動きを見て、
それを映画の評価に関連付けさせている的外れもいれば(映画なんだから映画単体見ろよとは思う)、
ちゃんといい点悪い点あげて評価つけてる人もいる。
大事なのは、本当に作品を見たかどうかも分からない人のレビューに流されて自分の評価を下す、
みたいなことがないようにすることだね。
初代デジモンを与えられるものとして見ていたぼくらも、
今はもう見たいものを見て、自分で評価を下せる大人になっているはずだ。
tri.を見て思い出を汚されたという気持ちも確かにあるかもしれないが、
そもそもそんなのは予想できたことじゃなかったのか?
昔のアニメの続編を今風に作るって少なからず覚悟がいることだろ?
作る側見る側お互いに。
まあそれでもあかんかったっていうならそれは残念だけど仕方ない。
ただ否定的な意見を他人にも押し付けようとするのは、引き際を弁えてほしい。
もちろんそれは肯定的な人についてもそう言えるけど。
つまり自分の意見はちゃんと隠しもって、
聞かれたときだけ答えようねって話。
あと、やっぱデジモン好きって話。