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今更ながら「ペルソナ5ザ・ロイヤル(P5R)」完全にクリアしたので暑苦しく語る

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2019年10月に発売直後に購入し、一週目をクリアしていたのだが、

それから忙しくて手をつけられなかった。

が、最近になって二週目をプレイしてトロフィーもゲーム内アワードもすべて揃えて完全にクリアした。

二週目をプレイするうちにP5Rとして追加されたストーリーやキャラクターについてどうしてもどこかで語りたくなってしまったので、今更ながら感想を書く。

 

ネタバレ有りなのでご注意を。

 

はじめに

無印版P5はもちろんプレイしているし、アニメやP5Dについてもプレイし、いよいよ待ちに待った完全版P5Rは初回告知の時点からすでにめちゃくちゃ興奮していた。

 

無印版のときと同じように何度もPVを再生しては、新たなペルソナを体験できる喜びと興奮に浸っていた。当然のことながら限定版の「ペルソナ5 ザ・ロイヤルストレートフラッシュエディション」を買った。

 

ペルソナ全書埋めとか双子戦とかまた最初からかー、という気持ちもあったが、そもそも無印版を300時間やった人間なのであんまり苦痛にも思わなかった。

はじめに言及しておきたいのが、この無印版から完全版へのデータ移行などがなく、いわゆる「完全版商法」について批判があったことについてである。

確かにペルソナ5はプレイ時間が長く、初回の一周目はまあ80時間はかかるくらいだった。収集要素や裏ボスを含めると二週目は必須なので結局100時間はかかるだろう。

今回P5Rとしてフルプライスで完全版が出ることで、無印版での苦労が無駄になってしまうと感じ、それが批判されてしまうのは確かに仕方ないことだと思う。P5Rとして追加されたストーリーのほとんどは無印版のストーリー後にやってくるので、それまでのあいだほぼ無印版と同じストーリーを追うことになってもしまう。

(もちろん、細かく新ストーリーや新キャラ、ダンジョンの新規アクションなど、P5Rのストーリーにたどり着くまで飽きさせないような新規要素は追加されている)

やろうと思えばP5のDLCとしてRを追加し、DLCをインストールした状態で新たな周回を開始することで新規要素をプレイできる、とすることもできなくはなかった…いや、パレスの構造自体変わってるし、データ量的に難しかったかもしれないか…

せめてペルソナ全書やアイテムの引継ぎなどがあれば無印版プレイ者もやりやすかったかなとは思う。

 

ちなみに俺はその点については何も気にしてない。

普通に従来要素も新規要素も楽しめた。それくらいペルソナ大好きなので。

 

 

新規要素(パレスや新BGMなど)

前置きが長くなったが、P5Rとして進化した部分についての感想を書いていこう。

 

まずは各パレス(ダンジョン)の構造変化や新規アクションである。

P5になってから固定ダンジョンとしていろいろな仕掛けや小話をはさみながら展開していくパレスは、長いとか周回プレイがきついとか言われることがあるが、個人的には自動生成ダンジョンのほうがあんまり好きじゃないので普通に楽しい。というより固定だからこそ周回プレイで楽なんじゃないかと思うのだが。

P5Rでワイヤーアクションが追加されたが、これはある特定の場所でのみ使用できるアクションで、そこまで使用頻度の多いアクションではない。だが、P5Rにおいて、このワイヤーが一つのアイコンとして機能している(芳澤のキャラ付けや、そのコープにより解禁されるシェネワイヤーなど)ことを考えると、必要ではないかもしれないが、単純にかっこいいからいいのかもしれない。

P5の魅力の一つって、主人公であるジョーカーの身のこなしや所作の一つ一つがかっこいいことにあると思っているので、ワイヤーアクションによりそれが強化されると思えば、全然かまわない。あと先述したシェネワイヤー(離れた敵に瞬時に飛びつく)は普通に有用だった。

 

また、パレスの新しい収集要素として「イシ」が追加され、すべてのイシを集めることでそこそこ強力なアクセサリとなる。

俺はアクセサリは使わなかったけど、収集要素大好きなので全部集めた。たとえ逃しても、あとからなんとかなるので別にいいのだが。

さらに新ペルソナが追加されたことにより、パレス攻略中に思わぬ敵と出会うこともあり、面白かった。カモシダパレスでケットシーが出てきて普通にうれしかった。

 

 

さて、さらに今作ではOP曲や戦闘曲、終盤のボス戦などで新BGMが追加されており、そのどれもが素晴らしかった。

 

OP曲の「Colors Flying High」はP5の随所で使われるフレーズを踏襲しながら比較的明るい曲であるのだが、青春感や仲間への愛情を感じる曲でもある。新規衣装の冬服に身を包んだキャラクターたちが楽しそうにしているOP映像と相まって、ペルソナ4ザ・ゴールデンの「Shadow World」を連想させる幸福感を感じるOPだった。

 

新戦闘曲の「Take Over」は、突き抜けたイントロと、Lynさんの力強いボーカルで戦闘をスタイリッシュに盛り上げてくれる。戦闘曲ではあるが、死闘感は全くない。これがいい。いつか目黒さんがおっしゃっていたように、通常戦闘は主人公にとっては日常の一環であるため、そのBGMもひたすら派手で、負ける気がしない状態の楽しい曲が合っている。

また、チャンスエンカウント以外では無印版の「Last Surprise」が流れるが、たまに聞くと「こっちもいいなあ」としみじみ思う。

 

ラスボス(マルキ)戦のBGM「Throw Away Your Mask」はイントロのピアノから歪んだギターサウンドへと展開し、サビでは悲しさや慈悲を感じさせるメロディーになっている。また、最後のサビ前はラスボス戦とは思えないほど優しい曲調になる。歌詞を見てもわかる通り、これは完全にマルキが怪盗団や人々に投げかけている言葉である。民衆はもちろんのこと、マルキが作った現実に惑わされながらもなんとか抵抗しようとする主人公たちをなおも救おうとしようとし、主人公はそれにあらがう。分かり合えない悲しさがある。

この分かり合えない悲しさを戦いの中で感じることで、それでも勝たなきゃならない、自分たちの現実を取り戻さなければならない、という感情をあおられる、ストーリーや展開に見事に合致した曲だ。

 

ラスボス直前、ラスボス決着時のBGM「I Believe」は、そのマルキの救いに反逆する主人公たちの返答となる曲である。無印版の「Life Will Change」の雰囲気をより昇華させ、自分の正義を信じ、何が何でも現実を取り戻すという意思、そしてその先の未来をつかもうとする主人公たちの希望を感じる曲だ。

まさに最終局面にふさわしく、ストーリーを追って最後にこの曲にたどり着いたとき、思わず泣きそうになってしまう曲だった。

 

 

と、ここまでBGMについて語ったが、とにかくこれらの曲が生まれたことだけでもP5Rはすでに素晴らしい。

 

 

新キャラ

P5Rとして新キャラ「芳澤すみれ」が登場。

(ここで設定とかまで解説するつもりもないのでいきなり「すみれ」呼びでいきます)

マルキの「曲解」によって自分を「かすみ」だと思い込み、のちに自分が「すみれ」であり、すでに亡くなった「かすみ」に対して抱いていた、憎みとそれに反する愛情、そして罪悪感にさいなまれ、一度はマルキの手に落ちてしまう弱さ。

また、「すみれ」であることを自覚したことにより、戦意を失ってしまっているときに、それでも抗うべきとする主人公に対して、「厳しいですね」とつぶやく弱さ。

それから本当のペルソナの覚醒をして、再度抗う意思を持つ強さ。

 

実際主人公は強すぎる。鋼メンタルである。

だからマルキにも、「主人公は強いから元の現実でも生きていける。だがほかのひとはそうじゃない」なんてことを言われる。

しかし主人公が望んでいるのは、弱い人がただ救われる現実ではなく、強くなろうとする人を助けたい、とか、強くなろうとする意志を尊重したい、ということなんだとなんとなく思った。今は弱くてもいい、強くなろうとしろ、というのが主人公の思いなのだと思う。

実際、怪盗団のメンバーは最初から強いわけではなく、その境遇や敵への怒りや仲間がいることによって強さが引き出されている。

そして強さと一緒に歪んだ欲望を持った者を挫くのが、怪盗団の役割だと認識しているのだと思う。

すみれという存在はストーリーを通して、その強くなっていく過程が描かれているキャラクターである。

 

ところで俺すみれ大好きなんすよ。

今までやってきたゲームのヒロインで一番好きです。

ビジュアルも当然好きなんですけど、先述したような成長の過程とか、いろいろ正直なところとか。本当の意味でヒロインって感じがして。

あと武器がレイピアとレバーアクションライフルとかかっけえ。

怪盗服も主人公と親和性あるし、終盤のパーティは主人公、すみれ、明智、モルガナで固定でした。

あと恋人ルートいったときのすみれ可愛すぎない?

多分そのうちすみれを見るためだけに三週目やります。

 

 

 

 

さて、二人目の新キャラ「丸喜拓人」

解説とかは省くとして、マルキの本当に最後の最後まで人々や怪盗団を救おうとする姿勢はすごく好きだった。また、最後の最後でペルソナも使わずに殴り合いになるのは、本当に元の現実にあらがおうとした表れだし、それが叶わず、どうしようもなく叫ぶことしかできない様は、敵ながら悲しかったし、同情もした。

マルキの作った現実は確かに理想だった。双葉の母親も、春の父親も、明智も、死んだという事実はなくなっていて、モルガナは人間になってたし、本当に幸せだったろうと思う。

マルキの現実を受け入れるバッドエンドのほうが、シーンだけを見ればずっとハッピーエンドなのである。

それでも、主人公たちはこのまま何事もない平和な現実を生きようとすることに反抗するし、前まで弱かったはずのすみれも強くなって抗うしで、マルキにとってみれば意味わかんないくらいだと思う。

それくらいに主人公たちが強いのだとも言える。自分たちの苦しんだ過去や、抗い成長してきた過程を放棄できない。無慈悲で不条理な現実に、それでも抗って強くなっていくことが大切なのだというのが主人公の主張なのだろう。

 

それまで改心させてきたカモシダやシドウとは違い、最後まで同情しながら、それでも認められない、なんとしても現実を取り戻してみせる、と、プレイヤーとしていろいろな気持ちを煽られるとても良いキャラクターになっていたと思う。

 

それと、怪盗服(?)はいい感じに宗教感出ててよかったです(褒めてる)。

また、パレスが楽園になっていて知恵の実らしきものがなっていたり、クトゥルフ神話の架空の創造主アザトースから、カバラなどで論じられる原初の人間アダムカドモンに進化したり、マルキが現実の創造主らしいアイコンがあるのも、敵として面白かった。

 

 

 

ストーリー

結局P5Rとして描きたかったのはなんだったろうか。

一つには主人公と明智のライバル関係であると思う。

無印版のころから明智は好きなキャラだったがP5Rでその魅力はさらに深まった。

主人公とは決して心の底からは馴れ合わず、しかしその強さや主張は認めながら、最後まで明智はライバルとして主人公と対等に付き合おうとする。

また、(ここはプレイヤーの選択にもよるものの、)主人公は明智をライバル視するのは最後まで変わらず、しかしその強さや判断力は信用し、最後にはトリックや利用ではなく裏のない協力関係を結んでいく。

また、明智は、元の現実ではおそらく死んだことになっているだと知っていながら、なおもマルキに対して抗おうとしている。それは、明智が企てていた復讐はすでに決着がついていること以外にも、マルキの手の上で踊らされるような生き方を望まないという強さの表れでもある。

非常に高いプライドと独立した強さを持った、たしかに主人公と同格の存在である。

というより終盤では主人公より主人公しているといっても過言ではない。どうみても主人公らしからぬ怪盗服と口調によって、ああこいつ主人公じゃなかったと気づかされる。

 

それと俺だけかもしれないけど、終盤明智もすみれも怪盗団として戦うことになって、明智が「バカ軍団かよ」って言ったとき、単純に笑ったのと同時に、ようやくみんながそろったんだな、って感じがあってすごく嬉しかった。

 

 

 

 

さて、P5Rのストーリーの軸のもう一つは、正義VS正義だと思う。

もちろん怪盗団の正義と、マルキの正義である。マルキの正義には無意識とはいえその他の人々の正義も含まれているだろう。つまり最後の最後は怪盗団VS民衆である。

 

この構図は統制神ヤルダバオト戦と似ている。

ヤルダバオト戦では、怪盗団の死闘に人々が徐々に気づき、その応援、つまり認知の強さが怪盗団の強さとなってヤルダバオトを討つ力となった。

しかし、個人的に、この最後の展開、演出に関しては、ただ熱くさせようというものしか感じず、民衆の応援もいつもの手のひら返しのように感じて、なんとなくもやもやしたものが残っていた(それだけ単純になれない程度の年齢なってしまった、というのもある)

 

が、マルキ戦では人々は依然マルキの現実を望み、抗うのは怪盗団とその協力者のみとなっている。

ここで感じるのが、P5の最序盤、カモシダを相手にした時のことである。このとき主人公たちは身の上に振ってきた不幸と境遇に抗おうとしていた。非常に身近で、現在と未来に直結する問題を解決しようとしていた。それがストーリーが進む中で、スケールだけが大きくなり、なんとなく自身からは遠く、ひたすら民衆を助けようとする意志で戦ってきていたのである。

P5のストーリーに対する批評の一つに、主人公たちの心情についていけない、というものがあった。このスケールの拡張というのがその原因の一つだと思う。

だが、マルキと対峙することになって再び主人公たちは自分たちのために現実を取り返そうとする。それは現在、作られた現実で幸福に浸る人々を再び不条理な現実に引き戻そうとすることでもある。さて、そこで先述していた、「強くなろうとしろ」という主人公の意思である。仮初の現実というぬるま湯で浸っていないで、元の現実で、不条理に晒されながらも、強くなろうとすべきだ。どうしようもないときは、そのときは怪盗団の出番なのだ。というのが、主人公側の意思なのではないか(個人的な感想です)。

 

再び身近なもとして戦う意味を感じることで、マルキ戦はそれまでになかった戦いになった。

互いに譲れないものがあり、どちらにも正義がある。

その中で主人公たちが勝ちを得たのは、その意思の強さにあったのではないか。

また、主人公たちはただ元の現実を取り戻すだけではなく、その先の未来を取り戻そうとする意志があったからこそ、マルキに勝てたのではないだろうか。

マルキの作った現実は、過去を改変し、現在そのものは人々に幸福であったかもしれない。それに打ち克ったのは、主人公たちが持っていた未来への意思だったと思う。

 

 

おわりに

というわけで暑苦しく雑に語ってしまったのだが、

ともかくP5Rは最高に面白かった。

個人的にはペルソナシリーズで一番です。

 

はじめに、で書いたゲーム本編以外の問題に関しては今後どうにかすればいいと思います。

俺は今後もペルソナシリーズは追い続けます。

今度はP5Sの完全クリアをしないと…